東京高等裁判所 昭和43年(ネ)530号 判決
一、小島宗三郎が昭和二九年八月一七日被控訴人に対し、本件店舗を、使用目的を飲食店営業に限定して賃貸したこと、賃料は営業売上に原判決別紙(二)歩合率表記載の歩合を乗じて算出し(以下、スライド約定という。)右歩合率は、経済状態の変動、物価の高低甚しき場合には当事者協議のうえ変更できる旨約定されたこと、その後控訴会社の設立とともに、控訴会社が貸主の地位を承継したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
二、控訴人は、本件店舗の相当賃料は一か月金三六万三、九二〇円となつたので、昭和四〇年九月一三日被控訴人に対し、右賃料を一か月金三〇万円に増加する旨の意思表示をしたから、同日から賃料は一か月金三〇万円に変更されたと主張し、右意思表示のあつたことは当事者間に争いがないので、以下判断する。
(一) 借家法は、借家人保護のため、期間についての約定のいかんにかかわらず、借家関係の安定長期化を企図しているが、その調整として、七条により家賃増減請求権を認めているのである。すなわち、借家期間が長期化するにつれて、その間に経済事情の変動が起りうるので、契約当初に定められた賃料についての約定を長期にわたり固定するのは妥当でないところから経済事情の変動に対応して賃料を増減できることを認めたものである。その立法趣旨からすれば、本件契約のように、家賃が営業売上にスライドして定められている場合には、経済事情の変動につれておのずから家賃が増減することが予定されているのであるから、前記約定により歩合率の改定を求めるのは格別、借家法七条によつて定額に値上げ請求をすることは、一応許されないともいえる。
(二) 原審および当審における証人小島辰雄、原審における控訴会社代表者小島宗三郎の各供述を総合すれば、小島宗三郎は、本件建物周辺の繁栄を契約当初予測し、賃料値上げ請求の手数を省くとともに、場合によつては多額の賃料収入が得られることを期待して、前記スライド約定を提案したことが認められるので、後記のように、被控訴人の営業不振のため賃料収入が伸び悩んだことは、賃貸人が不明であつたことに帰し、みずから招いた結果ともいえる。
(三) しかし、スライド約定は借家法七条但書にいう特約にはあたらないから、一旦それが定められた以上、いかなる事由があつても定額賃料に変更することができないと解するのは相当でない。それは、賃貸人において賃借人の営業売上を把握するのに困難があり、賃借人が営業を怠けるときは賃料が減少するという不合理な因子を蔵するばかりでなく、当事者間に合意の成立を見ない限り、歩合率の変更による賃料の改訂自体をほとんど不能にするからである。証人小島辰雄の原審および当審における証言、控訴会社代表者小島宗三郎および被控訴人の原審における各供述を総合すると、被控訴人の飲食店営業は、その業績が伸び悩み、昭和四〇年中における前記スライド約定による賃料は一か月平均一一万円前後であつたことが認められ、他方、成立に争いのない甲第一号証によれば、本件店舗の敷地価格、本件店舗を含む建物の価格、本件店舗付近の賃料の相場等その他諸般の事情を考慮して経済理論的立場から算出した本件店舗の適正賃料は、昭和四一年三月現在一か月二七万〇、八四〇円であるというのであるから、被控訴人の支払つてきた賃料は極めて低廉であるというべきであり、このような場合には、借家法七条による値上げの意思表示によつて、一定額に値上げすることが認められると解すべきである。
(四) 前記のように、昭和四一年三月現在における本件店舗の経済理論上の適正賃料が一か月二七万〇、八四〇円であること、成立に争いのない乙第一号証、甲第六号証によつて認められる本件賃貸借にさいし被控訴人から小島宗三郎に対し保証金六五〇万円が差し入れられていること、右適正賃料は新規契約の場合の賃料であること等を考慮するときは、控訴人の本件値上げの意思表示により賃料は一か月金二〇万円に増額されたものと認めるのが相当である。
三、よつて、昭和四〇年九月一三日から本件店舗の賃料は一か月二〇万円になつたものというべきところ、控訴人は、同日から一か月三〇万円の賃料を支払うよう催告し、その支払がなかつたので、同年一二月一六日到達の書面をもつて本件店舗賃貸借契約を解除する旨意思表示をしたことは、本件当事者間に争いがない。よつて、右意思表示の効力について検討する。
(一) 成立に争いのない甲第一〇号証、乙第五号証の一ないし二〇に控訴会社代表者小島正雄の原審における供述、被控訴人の原審および当審における各供述を総合すれば、右値上げ通告後、控訴人は被控訴人の提供するスライド賃料を受領せず、被控訴人はこれを東京法務局に弁済供託してきていることが認められる。
(二) 賃料値上げの意思表示がされた場合、賃料がいくらになるかは、裁判によつてはじめて確定されるのであるから、賃借人は予めそれを予測し、その額を弁済提供しなければ債務不履行の責を免れないとすることは、本件のようにスライド約定が存する場合においては、賃借人に酷であり、賃借人である被控訴人において、控訴人が通告した三〇万円の賃料は不当であると考えたとしても、無理からぬものがあるというべきである。結局、被控訴人には右賃料不払につき故意・過失が認められず、解除の意思表示は無効である。
(仁分 瀬戸 土肥原)